旅行として世界一周に行くのではなく、「働きながら世界一周」という大きなチャレンジを成し遂げた市川さん。マッキンゼーという華やかなキャリアから、いかにして「働きながら世界一周」という大きなチャレンジを成し遂げるに至ったのでしょうか?

本記事では、ランサーズの新しい働き方LABの所長、市川 瑛子(いちかわ えいこ)さんに、世界一周を始めたきっかけや、世界一周を達成するまでに取り組んだこと、苦悩などについてお聞きしました。

※当取材は、オンラインにて実施しています。

マッキンゼーのキャリアを捨てて「世界一周」へ。市川さんが一歩目を踏み出すきっかけを作った”ある言葉”

大人が”イキイキと働けるような場作り”をしたい

市川さん_マッキンゼーのキャリアを捨てて「世界一周」へ。市川さんが一歩目を踏み出すきっかけを作った”ある言葉”|1

ーーまず、今までのご経歴や学生時代のお話について教えて下さい。

大学を卒業してから、選択肢を広げる目的でマッキンゼー・アンド・カンパニーに新卒入社しました。マッキンゼーでは、コンサルタントとして短い間にさまざまなプロジェクトに関わり、キャリアの選択肢を広げることができました。転機となったのが、3年目に文科省のプロジェクト「トビタテ!留学ジャパン」へ出向したときです。このとき、はじめて好きなことを仕事にする感覚をつかみました。

そこから「教育の道に進みたい」と思うようになり、社内でも教育に関連する仕事を探したり、ベンチャー企業の人に話を聞きにいったりしました。そんな中、ビジネスを学べるMBA(経営学修士)と教育を学べる教育学修士を同時に取得できるジョイントディグリープログラムを見つけ、「これだ!」と思い、スタンフォード大学に留学しました。

スタンフォードで教育関係のインターンや勉強をしてみて、中高生向けの教育には進まなくていいかなと思うようになりました。それは、すでにたくさん良いサービスがあるというのと、有名な会社に入社したのに仕事がつまらないといっている優秀な同級生、自殺してしまった友人など、身近な周りで起こっている状況に目を向けたときに、せっかく良い教育を受けても、出迎えてくれる社会が変わらなければ意味がないと感じたからです。

そのことから「もっと大人がイキイキと働けるような場作りをしたい」という意識に変わっていきました。子どもたちに夢を与えられる大人が増えれば、自ずと教育は変わっていくと思ったからです。

ーーランサーズに入社したきっかけは?

イキイキとした大人を増やす場作りをしたい思いはあったものの、それをどう実現すればいいか分からなくて、一旦マッキンゼーに戻りました。あるとき仕事のつながりで今の上司も含めたランサーズの人達と接する機会がありました。ランサーズも同じく、「自分らしく働ける人を増やしたい」という理念を持っていて、入社を決めました。

入社してからは、ランサーズで「新しい働き方LAB」を立ち上げました。「新しい働き方LAB」では、「個人に成長機会を」をテーマに、リアルとネットを融合した成長コミュニティを形成、個人の活躍の新しいカタチを、実証実験を行いながら作っています。

具体的には、各地域で活躍するフリーランス(ランサーズに登録されている方)で「新しい働き方LAB」の理念や活動に関心を持っていただけた方に、「コミュニティマネージャー」という役割を担ってもらい、ユーザー同士で交流や成長できるイベントやワークショップの開催をしてもらっています。

※コロナウィルスのため、現在はオンラインイベント開催のみ

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ーーなぜ、華やかな経歴を脱してまでランサーズに入社したのか、そこが気になりました。なにか価値観を変えるような出来事があったのでしょうか?

マッキンゼーにいた頃は、いわゆるバリキャリでキャリアゴールを高く設定し常に成長するみたいな発想に囚われていました。だから、自分のやりたいことや好きなことに挑戦するのは、せっかくのキャリアパスから外れるような、恥ずかしいような気がしてしまっていて。やりたいことだけではお金にならないし、まわりの人は起業してどんどん稼いでいるのに、自分は何をしているのか?と焦っていました。

これっぽっちも稼ぎたい気持ちはないのに、素直にやりたいことにチャレンジすることに迷いがありました。転機は、スタンフォードのある授業で教授に言われた「仕事や職業やキャリアの前に”どう生きるのか”。生き方から逆算して、キャリアを築かないといけないよね」という言葉でした。

キャリアアップのために来ているような場所で、まさかそんなことをいわれると思っていなくて、ハッとさせられて。自分の働き方に課題を持っていたわけじゃないけど、視点が広がったというか、違う視点でキャリアを考えてみてもいいんだなと気づかされました。

仮に失敗したとしても軌道修正をすればいい、いろいろ試していくことはむしろ前進と思えるようになって。思い切ってマッキンゼー以外の選択肢を見れるようになりました。

「働きながら世界一周」をはじめたきっかけ

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ーー「働きながら世界一周」をはじめたきっかけは?

世界一周するという思いは妄想レベルでずっと前から持っていました。ランサーズに入社をするときに、「夫がアメリカに赴任になったので、リモートでないと難しい」、そして「いずれ夫婦で世界一周をしたいので、どこかのタイミングで行こうと思っている」と、半ば入社条件みたいな感じで強引に提案したんです(笑)

それでも「リモート社員チャレンジしてみたら」と快く背中を押してもらって。入社すぐに、アメリカでリモート社員として働いていました。半年後、アメリカから帰国してからは、他の人と同じようにフルタイムで渋谷の本社に出勤していたのですが、「自分らしく働ける人を増やしたい」と言っているのに、全く新しい働き方ができていないなとモヤモヤしていました。

昨年は、夫と私はちょうど30歳になった年でした。世界一周するなら子供を生む前だよねという話を前からしていて、夫も仕事を変えたいと思っていたころだったので、「行くなら今じゃない?」という本格的な議論が始まりました。ただ、仕事も忙しいし、なかなか踏ん切りがつかない状態が続きました。

友達の結婚式でニューヨークに行くことがあり、そのときに、改めて「旅」の楽しさを感じて、直感的に「やっぱり行こう」となり、その場で3週間後の飛行機のチケットをとりました。すぐに会社にも報告をして、諸々の手続きをすませ、12月から世界一周がスタートしました。

ーーものすごい決断力と行動力ですね……!とはいえ、最初から「働きながら世界一周」というアクションには移せなかったと思いますが、この決断に至るまでに、具体的にどのようなことをしたのでしょう?

行くと決めたのは3週間前ですが、「行きたい」ということはかなり前から常に周りに言っていました。また、行くことを想定し、自分がいなくても回るような仕組みづくりや「あなたなら海外に行ってもいいよ」「この人なら大丈夫」と思われるようにしっかりと仕事上で成果を出すなどして、信頼関係の構築につとめていました。

また、世界一周しながら、今の仕事をそのまま続けるのは違うと思っていて。どうせなら、レバレッジを効かせてランサーズのメリットにつながるようにしたいなと。時差の関係で、日本の時と同じようなスタイルで仕事はできないし、週末だけ観光するのも違うと思ったので、上司と相談しながら業務内容や業務時間を調整しました。

最終的には、働く時間は決めずに週2日分のアウトプット(成果)を出すということで決まりました。もちろん、出ないといけないミーティング、やらないといけないこと、目指すべき成果にはコミットする。でも、働く場所や時間は自分でコントロールできるようにしていたので、実質、分散して週4,5日働くこともあれば、集中的に2日だけ稼働することもありました。

ーーランサーズには、海外リモートができるという前例はあったんですか?

フルリモートも、海外リモートも前例はありませんでした。ただ、世界一周に行きたいという情熱を常に周りの人に発信し、かつ会社にもメリットを提示でき、コミットラインを示すことができれば、変えてもらうことができました。そもそも、働き方の提案をできることを知らない人が多いなと思っていて、副業に関しても「就業規定で決まっているから」とあきらめてしまっている人が多い気がします。ファーストペンギンになり、変えていける人になってもいいのかなと思いますね。もちろん、それにはそれなりの覚悟と責任が伴いますが。

「世界一周」をした。その事実が”大きな自信”につながった

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ーー「働きながら世界一周」をして変わったことはなにかありましたか?

「働きながら世界一周」を実行できたことが成功体験になって、自信につながりました。コロナの影響で途中帰国することになってしまいましたが、「世界一周した人」ということには変わりないわけで、意外とその差が大きいと感じています。

あとは、世界一周をしている時は、観光だけでなく現地の人に「生き方」についてインタビューをしていました。ライトな取材が100人、ヘビーな取材が20人、その中で感じたのがどの人も自分で自分の人生を動かしている人ばかりだったんです。この経験を通して、改めて人々の生き方の選択肢を増やすのが自分の仕事なんだなと実感することができました。

旅中に行っていた取材についてはこちら↓

https://note.com/the_ichikawas

ーー取材に、移動に、仕事に、聞いているだけでも、とても大変な旅だったと思うのですが、それを成し遂げる原動力はなんだったのでしょう?

本当に辛くて、何度も立ち止まりそうになりました。それでもやり続けられたのは、やっぱり人ですね。出会った人たちのストーリーが本当に素晴らしくて。自分たちが聞くだけで終わらせずに発信しなければという使命感に変わっていきました。

根底には、自分の世界一周の経験を通して、誰かの背中を押せるようなきっかけになれればいいなという思いがやっぱりあって。

ランサーズで働いていて、もっともやりがいを感じる瞬間は、「自分でも稼げると思わなかった」や「趣味で絵を書いていたけど、仕事にしても良いんだ」という気づきのきっかけを与えられたときなんです。

世界一周で出会った人からもらったインスピレーションを伝えることで、どれかが誰かにささって、一歩目を踏み出すきっかけになればと思っています。

ーー海外生活ではトラブルがつきものだと思いますが、どのように乗り越えていったのでしょうか?

夫も私も行きあたりばったりだったので、予定管理に苦労しました。その国にいる期間が短いからこそ、その国を満喫したいし、でも仕事もしたいし、インタビューもしたいし……と取捨選択が難しかったです。それに加えてお互いやりたいことが違ったので、よく衝突していました。

一つの国や街に滞在する期間を延ばすことで、この問題を解決しました。それだけだと、ものすごく簡単そうに聞こえますが、帰国日の延長申請をしたり、ミーティングの日程を再調整してもらったりと、日本側のメンバーとのコミュニケーションがものすごく大変でした。

あと、絶対にうまくいかないことを前提として、限りなく期待値を低くすることが重要だと思いますね。やるべきことはやるけど、実験というスタンスを意識していました。「働きながら世界一周」は前例がないわけで、計画してもそのとおりにいくわけではないので、そのたびに改善できる柔軟性が大事なのかなと思いますね。

ーー楽しみたいけど仕事もしたい……という悩みは、「旅しながら働く」ときに、みなさん苦悩されることだと思います。

そうですね。もともと、自分じゃなくてもできる仕事、仕事に対する時間のかけ方みたいな取捨選択や優先順位をつけるのが苦手でしたが、今回の旅で自然と鍛えられました。まず、自分の仕事をどうすれば効率化できるかを考えて、それでも無理だとなったら、他の誰かに頼むことを考えました。それこそ「新しい働き方LAB」に所属しているフリーランスの人に、仕事の一部をお願いしていました。

ーー外注という選択肢は、他の会社でも検討の余地はありますよね。

そうそう。ランサーズだからとかではなく。しかも、私の場合は海外に行って給料が少なくなっている分予算が浮いているわけです。その予算を使って外注すれば、交渉材料としては強いですよね。

100人いれば”100通り”の働き方がある

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ーー今は、コロナで行動様式が大きく変わっています。今後「働き方」はどうなっていくと思われますか?

まず、今までの働き方は当たり前ではなかったと実感しましたね。自分の働き方を見直す大きなきっかけになったと思います。期待を込めてですが、さらに働き方の多様化が進むのかなと思っています。同じ会社の人でも、「正社員+NPOボランティア」「正社員(週2日)」「正社員×正社員(2社所属)」のように、100人いれば100通りの働き方ができるんじゃないかな。書類でいう「職業欄」に当てはまらないタイプの人が増えていく気がします。

いまだに、肩書きや会社のブランドで人を見る風潮があるなと感じます。「個」の集団で会社が形成されているのにもかかわらずです。もっと、個を軸としたキャリア選択に世の中が向かっていったらいいなと思います。

ーー最後に、今後の展望について教えて下さい。

よく今後の展望について聞かれるのですが、実はあまり考えていません。ゴールを設定しても変わってしまうから、その瞬間でワクワクする道を選択できればいいのかなと思っています。今ワクワクするのは、やはり、いろいろな人の可能性を広げるキッカケを作れることですね。たぶん、それをしばらく続けていくと思いますが、違うものに導かれて10年後には中学校の校長になっているかもしれない。ただ、海外や新しい場所に行くのは好きなので、ずっと同じ場所に住むよりは、転々としつづけて常に新しいものを探っていくのかなと思います。

あまり計画しないようにして、これからもセレンディピティ(偶然の出会い)を大事にして、流れるままに生きることを大切にしたいですね。

この記事を書いたひと


俵谷 龍佑

俵谷 龍佑
Ryusuke Tawaraya

1988年東京都出身。ライティングオフィス「FUNNARY」代表。大手広告代理店で広告運用業務に従事後、フリーランスとして独立。人事・採用・地方創生のカテゴリを中心に、BtoBメディアのコンテンツ執筆・編集を多数担当。わかりやすさ、SEO、情報網羅性の3つで、バランスのとれたライティングが好評。執筆実績:愛媛県、楽天株式会社、ランサーズ株式会社等