働き方改革により、複業、時短勤務、リモートワークなど、多様な働き方が次々と登場しています。近年は、全国各地にある物件に定額で住める「コリビングサービス」が複数リリースされたこともあって、地方と都心部の2つの拠点で生活する「デュアラー」「アドレスホッパー」など、場所にとらわれないくらし方を実践する人も徐々に増えてきました。

といっても、二拠点生活は「お金がかかるんじゃないの…」「どちらも中途はんぱになりそう」など、なかなか最初の一歩が踏み出せない人が多いと思います。

そこで、今回は、東京と山梨で二拠点生活を実践している辻さんに、二拠点生活をはじめようと思ったきっかけや魅力、大変なことなどをお聞きしました。

育った地元ではなく、華やかな東京、海外に憧れていた学生時代。

ーー簡単に現在のお仕事について教えてください。

今は、地場産業特化型の複業マッチングサービス「Going・Going・Local」を運営する株式会社トレジャーフットで働いています。具体的には、日本全国の中小企業の経営支援や課題解決をヒアリングし、それにマッチングする複業人材の方をご紹介させていただいています。弊社で登録いただいている方は、複業をしたいという会社員の方から、専門性の高いプロ人材まで幅広く在籍しています。

地域のものづくりや製造業の会社さんは、よいものを作ることはできても情報発信が苦手というケースが非常に多く、正社員採用をしてもなかなか人が集まらないという現状があります。そこに採用のコストをかけるよりは、必要な期間だけ必要な人材を活用する方法もあるということを、全国各地に訪問し広めている段階です。

2018年にできた小さな会社なので、現在はメンバーのゆかりのある地域で拡大しています。

ーーありがとうございます。過去の経歴について教えてください。

山梨県北杜市白州町の生まれで、高校生まで住んでいました。大学進学とともに上京しました。当時は、地元に対してあまり良いイメージがなくて、むしろ海外に興味があって、研修で北欧に行くゼミを選んだり、海外渡航費のためにアルバイトをしていました。

ーー当時は、地元ではなく海外に目が向いていたんですね。

当時は、地元で働く選択肢はなく、迷わず東京の会社に就職しました。当時、就職活動で大切にしていた軸は、「誰かの人生にプラスアルファを与える」で、エンタメなど非日常のサービスを提供する会社に入ろうと考えていました。そんなとき、前職のベネフィット・ワンの代表の話を聞く機会がありました。そこで、「福利厚生は老若男女の日常生活に幅広くプラスアルファを与えている」ことを知り、「ここなら、私のやりたいことができるかも」と思い、ベネフィット・ワンに入社を決めました。

ーーその会社には、どのくらい在籍していたのですか?

計6年間です。さまざまな部署で経験を積ませてもらいました。法人の飛び込み営業をしたり、大手企業様のフォロー営業から、Webディレクターまで、そして最後は新規事業開発グループで働いていました。

地元で豊かに暮らす。身近な場所に”生き方のヒント”があった

白州の風景

ーー海外に目が向いていた状態から、どのように地元に視点が戻り、二拠点生活を始めようと思ったのか気になります。きっかけやエピソードがあれば教えてください。

入社3年目のとき、大手通信会社と一緒に仕事をする機会がありました。最先端の企業がどういう姿勢で仕事をしているか間近でみたときに、「今の自分はこのままでいいんだっけ」と、打ちのめされたんですね。そのときに、会社のこと、将来のこと、いろいろ迷ってしまって。それと同時期に、母から自分の母校が統廃合するという連絡をもらいました。

自分が外の世界や海外に目を向けているうちに、自分の地元はどんどん変わってしまっていたんですね。気になって地元に帰ってみると、幼少期の記憶と全く違う地元の景色がそこにあって寂しくなりました。

あと、改めて地元で過ごして感じたのが「時間の感覚の違い」でした。東京では時間に追われてバタバタしていましたが、両親はそうだったかというと、ゆとりのある働き方・暮らし方をしていたんですね。そういうことに気づいたときに、地元での暮らしもありなのかなと思うようになりました。

ーー冒頭では、地元があまり好きではないとおっしゃっていましたが、生き方や暮らし方を見つめなおす中で、地元の良さに気づけたということでしょうか?

そうですね。白州は小さな町で、すぐに話が広がるような閉塞感が当時は好きではありませんでしが、友達とその友達の家族と、地域全体で暮らすことが、今思えば暮らしの豊かさを作っていたなと。地域に家族が開かれているというか。大人になってから、より深く感じるようになりました。

ーー移住(Uターン)ではなく、あえて二拠点生活を選んだ理由は?

自分自身、東京がきらいなわけではなかったので、Uターンするのでなく、東京にいるからこそできること、常々地元と東京をつなぐパイプ役になりたいと思っていました。ただ、当時は二拠点生活という選択肢を知らなかったので、どのような形がベストなのか模索していました。

とにかく人と会い、動く。「二拠点生活」という自分のキーテーマに出会う

なぜ二拠点生活をはじめた?東京と山梨を行き来する辻さんが語る、移動しながら過ごすくらし方の魅力
前職時代

ーーそこからどのようにして、二拠点生活という言葉に出会ったのでしょう?

ヒントを得ようと、まずいろいろな移住系のイベントに参加してみることにしました。2015年頃に参加した「地域仕掛け人市」というイベントで、二拠点生活というセッションがあって。その「二拠点生活」というワードに妙にしっくりきたんです。

ーー2015年といえば、二拠点生活以前に地方創生という言葉も定着する前ですよね。

そうですね。登壇者の人も、「よくこのテーマで人が集まりましたね」といっていたくらいですから(笑)

ーーなるほど。そこで、二拠点生活を開始するわけですね。

その後なかなか踏み出すことができず、引き続き前職の会社で働いていました。まずはできるところからやろうと、東京にいる山梨出身の人たちを集めて、都内にある山梨県の居酒屋をめぐるイベントからスタートしました。

ーー本業のかたわらで、着々と複業の活動もされていたんですね。

そうです。早起きして始業までと、定時後から寝るまでの時間を活用して、複業をしていました。本業ではいかにダラダラ働かず、効率的に働くか(もちろん、成果や質は落とさずに)を徹底的に考えていました。

また、最後の2、3年は新規事業開発グループにいて、自分で仕事を作ることがメインだったので、スケジュールに融通がききました。 このように環境に恵まれていたこともありますが、情熱があるからこそ、やりたいことができそうな部署に手をあげて配置換えさせてもらっていました。

ーー新規事業開発グループではどのようなサービスを開発されていたのでしょう。

「シェアリングエコノミー」を切り口にしたサービスを運営していました。

このサービスは、自分たちが社内のビジネスコンテストで提案し、採用されたものです。私がプロジェクト立ち上げのため異動してすぐ、今の会社の代表の田中が私の上司としてジョインしました。

当初、私の構想では地域に人を送ることを目的にしていたのですが、さまざまな事情があって思うように進まず、先に代表の田中が退職して、トレジャーフットを起業しました。私は引き続き、複業で地域のコミュニティ活動を続けていました。

ーー地元への情熱があっても、なかなか退職するには決意がいると思います。なにかきっかけがあったのでしょうか。

実は、地域コミュニティ活動のおかげもあって、退職をする2019年3月ごろにはいろいろなところから声をかけてもらうことも増えて、有給で山梨に帰り地元の会議に参加したりしていました。いよいよ、東京で週5日働く生活は難しいと思うことが増えたんです。 ちょうどそのタイミングで、田中さんから「今の会社で新事業を立ち上げることになった」という話をいただきました。本当にいろいろなタイミングが偶然に重なり、自分の理想の二拠点生活をすることができました。

この話の続きは、後編で。後編では、二拠点生活のメリットやデメリット、二拠点生活に大切なスキルについて話してもらいました!