移住先で気になるのが離島。眼前に広がる透き通った海、見上げれば青い空。そして、肥沃な大地で育った新鮮な果物や野菜を味わえる。そんなイメージをつい持ってしまいがちですが、現実は良い事ばかりではありません。都会のような刺激がなくて退屈な面もあるし、南国ともなれば、台風や虫などはつきもの。今回は、沖縄の竹富島に住む片岡さんに移住した経緯と、島暮らしの魅力や大変なことについて話を伺いました。

 

島暮らしって実際どう?竹富島へ移住した片岡由衣さんにインタビュー!|mazrica times|片岡さん

大手リゾート会社に就職し、全国各地を飛び回る日々

 

――まず、片岡さんについて教えてください。

2019年に、沖縄県の竹富島という人口350人ほどの離島に移住しました。仕事は、フリーランスでライターをしていて、主に子育てやエンタメ、島暮らしなどを中心に執筆していますね。プライベートでは3人の子育て中で、忙しい日々を過ごしています。

 

――次に、これまでのキャリアをお話しいただけますか。

はい。東京の町田が地元で、読書と新聞作りが好きな子供でした。中学生の頃は生徒会の書記として、3日に1回A3サイズの「生徒会通信」を手書きで発行していましたね。その後、東京学芸大学に入学し、国語教育と小学校教育を学びつつ、学外活動として塾講師のアルバイトや、アカペラサークルなどをしていました。

 

――教員にはならなかったのでしょうか。

教員にはなりませんでした。当時、編集者や出版業界に興味があって、出版社を中心に就職活動していましたが上手くいかず……。たまたま受けた星野リゾートの選考で知り合った社員が面白かったこと、「日本の観光をヤバくする」のミッションに惹かれたことが決め手となり、星野リゾートに就職しました。両親からは「どうして東京から地方に行くの?」とも言われましたが……(笑)。1年目は現場研修で、軽井沢や青森、福島のスキー場など各地を転々として、出会う人が面白い人ばかりでした。

 

――具体的にはどのようなお仕事をされていたのでしょう?

1年目は宿泊施設で接客業務をしていました。しばらく現場で働いていると広報の人がさまざまな媒体の取材対応するのを見かけることがあって。「広報なら、出版や編集に近い仕事に関われるかもしれない」と、社内公募を通じて、2年目からは広報になることができました。

 

――現職のライターに近いお仕事ですね。

そうですね。2年目は軽井沢勤務で、取材対応やプレスリリース作成、イベントの企画運営など、わからないことばかりでしたが毎日が刺激的で充実した日々を送っていました。

 

――その後は、京都に転勤したそうですね。仕事は広報のままですか?

広報以外の職種も経験したいと思ったタイミングで、京都の新施設の立ち上げ業務が社内公募が出ていたので応募しました。また、その頃、結婚して半年の夫と遠距離で暮らしていて、そろそろ一緒に住みたいと考えていたんです。話し合った結果、2人揃って京都に行くことになりました。

 

京都ではホテルのフロントを担当したり、お客さまに楽しんでもらえる館内でのアクティビティを企画したり楽しく働いていたのですが、子供が2人生まれて産休・育休を取ることになりました。その後、仕事に復帰したものの、夫と月に2日しか休みが合わずすれ違いの毎日で、ワンオペ育児のような状態になってしまったんですね。

 

時を同じくして、東京の実家にいる母が体調を崩し、長くないことがわかりました。「これを機に、家族で東京に戻ろうか」ということで、夫は転勤で、私は会社を退職する形で東京に戻りました。

一生に一度の経験だから。人口350人の離島「竹富島」への移住を決める

 

――竹富島に行くきっかけや経緯について教えてください。

東京へ戻って5年ほど経ち、夫が竹富島への転勤を希望したため、ついて行く形で家族で引っ越しました。2018年頃、小2だった長男が登校渋りをしたことから、フリースクールや離島留学などの選択肢を検討していたんです。なので、離島の自然豊かな場所で子育てすることに興味がありました。

 

――知り合いもいない、350人ほどの小さな離島に移住することに迷いはなかったんですか。

迷いはありました(笑)。竹富島から高速フェリーでわずか15分のところに石垣島があって、竹富島に転勤になった人はほとんど石垣島に住んでいるんです。

 

石垣島は、5万人ほどが暮らす大きな島で、スーパーやTSUTAYA、ドン・キホーテなどなんでも揃っているんですが、竹富島にはそういった商業施設はなくて。

 

――何が決め手となって竹富島に住むことになったんですか。

以前、竹富島に子連れで赴任していた人に話を聞いたら、「子供たちもすごい楽しんで暮らしていたし、竹富島で暮らすことは簡単にはできないことだから、一生に一度飛び込んでみたら楽しいよ」とおすすめされたんです。さらに、赴任が決まった後に下見で訪れた学校が、最後の決め手でした。

 

竹富島の学校は、色とりどりの花が咲き、芝生が広がる校庭で、まるで絵本の世界のようでした。また、人口が少ないこともあって、先生が生徒一人ひとりを覚えているんですよね。そして、その学校の子供たちも私たちに話しかけてくれて。家族や親戚みたいな距離感で素敵だと思いましたし、子供たちも「この学校が良い」と言っていましたね。

 

――島に移住してから、フリーランスのライターを始めたんでしょうか。

島に移住して1年経った2020年に始めました。5〜6年ほど専業主婦をしていたので、社会復帰できるか不安でしたが、コロナで在宅ワークが一気に普及したタイミングで、「面白そうだな」という理由でWebライターを始めたらハマってしまったんです。

 

当初は社会人としてブランクがあり、自分の文章力もわからずあまり自信がなくて。でも、あるライターの人に、書いた物を見てもらい広報で取り組んできた仕事や経験を話したら、「社内の人に話を聞いてプレスリリースを書くのは、取材ライターと近い仕事ですね。ライターとしてやっていけると思いますよ」と言ってもらいました。今までの経験が生きているなと、自信につながりましたね。

郷土愛にあふれる島民と、沖縄の原風景が見れるのが魅力

 

――竹富島に暮らす方の人柄について教えてください。

伝統や暮らしている土地を大切に思っている人が多いと思います。「自宅にご飯食べにおいで」みたいに距離感が近いというよりは、どちらかといえばシャイな人が多いですね。ただ、外から来た私たちにも、バナナやパイナップルなどいただくことや、伝統行事にも声をかけてもらい一緒に参加することもあります。ほどよい距離感かなと思います。

 

――やはり、南国の島だと時間の流れはゆったりしていますか?

実はそうでもなくて。観光で来る人たちはのんびりしていますが、島民は意外と忙しいですよ。島にはいくつか祭事があって、大きいものだと神様に奉納する踊りや唄などの芸能があって、出演者は仕事もしながら練習する必要があるんですね。

 

あと、島が「伝統的建造物保存地区」に指定されていることもあり、家の庭の清掃状況の検査があったり、住民が集まって海岸の清掃をする日があったり。清掃の日以外でもよく掃除している姿を見かけます。島を歩いているとどこを写真に撮っても美しくて惚れ惚れします。

 

――本当に島を大切にされている方が多いんですね。竹富島の自然のどんなところが魅力だと感じますか。

思い立ったらすぐに海に行けるところですね。石垣島と行き来してるフェリーの最終便が夕方17〜18時なので、夕方以降は宿泊者と島民だけで静かになります。その時間帯のビーチでは、島の人たちが泳いだり、夕陽を眺めながらお酒を飲んだり、思い思いに過ごしています。波がほとんどない穏やかな海なので、ぷかぷか浮かんでいるだけでも気持ちがいいですよ。

 

また、本州では見られないヤシガニや、ヤエヤマセマルハコガメ、カンムリワシといった天然記念物や絶滅危惧種などを見ることができて、子どもたちも楽しんでいます。

 

――他に魅力があれば教えてください。

おもしろい人が集まっていると感じますね。この島で長く住んでいる人から、昔の島の様子、例えば50年前に水道が通るようになったとか、テレビが2チャンネルしか映らなかったみたいな話を聞けたり、あと手先の器用な人が多いので、植物でカゴなどの民具を編んだり、しそジュースや梅ジュース、梅干しなどを手作りしたりしている人もいます。

 

――竹富島で過ごす1日のスケジュールを教えてください。

8時ぐらいに、登校する子供たちを見送ったあとは、洗濯や片付けなど一通りの家事を済ませて、家で仕事をします。買い物に行く場合は、フェリーで石垣島に行きます。3時ごろに子供たちが帰ってくるので、そのまま子供たちと遊びに出かけて、その後夜ご飯を食べて、お風呂に入り、就寝という流れですね。

離島暮らしに不便はつきもの。快適な暮らしは自分で作る気概が大切

 

――島暮らしで苦労することや大変なことはありますか。

いくつかあって、まず1つ目が船に乗って買い出しに出ることですね。竹富島にはスーパーやコンビニがありません。小さな商店があって卵や牛乳は売っていますが、生鮮食品などは隣の石垣島まで買いに行かなければいけません。

 

もう1つが病院です。島内には小さな診療所が1つだけなので、歯科や皮膚科、小児科などは石垣島に行く必要があります。病院のために、子供は学校を休んだり、途中から登校したりしないといけないケースがあって少し大変ですね。

 

あと、娯楽施設も少ないです。映画館や美術館などは竹富島にも石垣島にもないので、沖縄本島まで出かけないといけません。でも、子どもたちは竹富が一番好きみたいで。私がたまに映画館に行きたくなります(笑)

 

――南国で大変なことで代表的なのが虫だと思いますが、移住当初驚いたことや困ったことはありましたか。

ゴキブリと、アシダカグモにはびっくりしました。今では、子供たちがゴキブリを退治してくれています。あと、虫ではないですがヤモリにも驚きましたね。ヤモリって、「キーキー」と甲高い鳴き声を発するんですが、最初、何の声かわからなくて(笑)。気候的に虫が出る地域ですが、3年住んだらだいぶ慣れてきました。

 

――東京と比べると、家賃や物価は安いんでしょうか?

家賃はだいたい7〜8万くらいで、実は首都圏とそこまで大きく変わりません。ただ移住する人は住み込みで働く人が大半なので、実質無料になっていることが多いみたいですね。また、物価は土地の野菜や果物は安いですが、卵や牛乳はやや高めな印象があります。

 

――通信環境はどうでしょうか。

ずっとADSLで、数ヶ月前にようやく竹富島全域に光回線が入りました。竹富島にはコワーキングスペースやカフェがないので、急ぎの用事があるときは石垣島まで行って仕事をしていました。

 

――竹富島で独特のルールはありますか。

竹富島には、保育所と小中学校しかありません。また、フェリーの最終便は夏が18時台、冬が17時台のため、中学を卒業したら家を出るのが一般的です。石垣島の高校へ進学する子がほとんどですが、沖縄本島や本州の高校へ進学する子もいますね。だから、親としても15歳で自立させることを前提に、子育てをしているなと感じます。

 

――人との距離が近いからこそ、気になることや大変なことはありますか。

私は気にしいな性格だから、「誰に何を言われているのだろう」と勝手に気にして疲れることはありますね。あとは、どこを歩いていても基本的に知り合いに会うので、ときどき誰も知らない場所に行って落ち着きたくなることがあります。

 

――どんな方が島暮らしに向いていると思いますか。

スーパーや飲食店がないことに不満を抱くのではなく、家庭菜園をして野菜や果物を育てたり、自分でジュースやジャムを作ったり、前向きに不便さを楽しめる人ですね。

 

あとは人と関わるのが好きな人、反対に人と関わらなくても自分のペースで過ごせる人、そのいずれかであれば島暮らしに馴染めると思います。

 

私は夫の転勤で社宅に住んでいますが、基本的に竹富島には賃貸物件がありません。もし、竹富島に住んでみたい方は、民宿や食堂の住み込みアルバイトをする方法があります。民宿に泊まるのも、島暮らしの雰囲気が感じられるかも。最近は、自治体がオンライン相談会をしているので、そういった場所にも顔を出しつつ情報収集してみると良いと思います。

 

――最後に、今後の展望について教えてください。

夫の職業柄、また転勤になる可能性があるので、どこにいても働ける状態でいたいです。竹富島に移住したばかりの時は専業主婦で、まさかライターを始めるとは夢にも思っていませんでした。元々、あまり目標を立てないタイプなので、「なんとかなる」精神で、ライターに限らず楽しいことやおもしろいことに飛び込んで、それを仕事にする流れが作れたら良いですね。あと、「大人になっても楽しいんだ」と子供たちに思ってもらえるように、自分の行動で示して行きたいです。

 

実は、話そうか迷っていましたが竹富島に来てから、SixTONES(ストーンズ)という推しのアイドルができたんです(笑)。今年2月の熊本のライブに当選して、長男を連れて行ってきました。長男と2人旅は初めてで、推しは行動力を広げてくれるなと実感しています。

 

今は取材記事や体験レビューなどの記事に加え、SixTONESをはじめ、音楽やドラマなどのエンタメ記事も書いています。読んだ人に「言いたいことをいってくれた!」など感想をもらえるのがうれしく、スキルを磨きながらどんどん楽しいことにアンテナを張って過ごしていけたらと思いますね。

 

この記事を書いたひと


俵谷 龍佑

俵谷 龍佑 Ryusuke Tawaraya

1988年東京都出身。ライティングオフィス「FUNNARY」代表。大手広告代理店で広告運用業務に従事後、フリーランスとして独立。人事・採用・地方創生のカテゴリを中心に、BtoBメディアのコンテンツ執筆・編集を多数担当。わかりやすさ、SEO、情報網羅性の3つで、バランスのとれたライティングが好評。執筆実績:愛媛県、楽天株式会社、ランサーズ株式会社等