「マツリカンの声」では、多様なバックグラウンドをもつマツリカのメンバーにマイクを向け、生い立ちやスタートアップに入った経緯、現在の活動、それぞれの個性的な働き方などを多方面から取り上げていきます。

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「僕がマツリカで挑戦しているのは、営業現場で感じたコンプレックスに光を当てること。」

そう語るのは、マツリカにて営業責任者を担いながら、2019年10月よりVPoPとしてプロダクト責任者ともなった、久保文誉さん(29)。

3年前、ソフトバンクから当時立ち上がったばかりのマツリカに飛び込んだ彼は、目まぐるしい変化の中で、一体どんな目標を掲げ、どんなチームをつくり、営業支援ツールというプロダクトの価値を世の中に届けてきたのでしょうか。
 

大企業で感じる「イケてない営業」の空気

ー久保さんの、最初の就職までの経緯を教えてください。

僕は広島県の、海にも山にも近い港町で生まれ育ちました。小さい頃から、早く狭い世界から出たくて、何でも集まる都心に憧れていたので、大学進学と同時に上京したんです。学生時代はアカペラサークルや、アルバイトに励んでいました。
 

新卒でソフトバンクに入社して、3年半の間、法人事業部門の営業として働いていました。入社のきっかけは、2010年にソフトバンクが発表した「新30年ビジョン」です。孫さんが描く情報革命の未来に衝撃を受けて、それを少しでも多く、肌で感じとれる環境で働きたいと考えました。

ー入社後はどんなお仕事をされていたんですか?

営業職になったんですが、まさかの広島配属が決まって。地元を出たくて東京に来たのに、また地元に戻ることが相当なストレスでした。物理的な距離や、情報格差を感じて、東京にいる同期や世の中に置いてかれるんじゃないかという恐怖があったんです(笑)
 

でも、逃げるのもダサいし、一旦はやりきるぞと仕事に励んでみたら、その分の結果はちゃんとついてきました。ソフトバンクの営業として働く中での大きな学びは「単なる物売りに留まらず、お客様の課題解決を最優先に考える姿勢」でした。

ー成果もきちんと出す中で、ソフトバンクを退職したきっかけは何でしたか?

3年間勤める中で、自分としてはそれなりに充実した日々を送っていたんです。一方で、周りでは売れなくて悩んだり、数字のプレッシャーをコントロールできずに潰れてしまう若手も多くて、営業という仕事の”イケてない部分”を感じることが多々ありました。
 

売れない人はただ売ることだけを求められたり、営業会議で詰められる光景を見ていると、まるで営業は、組織のヒエラルキーの下にいる感覚になってきて。営業という職種に対するコンプレックスが、自分の中で徐々に膨らんでいったんです。
  

また、そんな泥臭い現場にいながらも、自ら事業を興して会社を旅立つ同期を目の当たりにしたり、会社から新しいビジネスモデルや素晴らしいプロダクトが次々と生まれるのを肌で感じる中で、自然と「創り出すこと」や「新しく事業を興すこと」に興味を持ちはじめました。

広島時代の営業チーム

営業がもっと輝ける場を“自分”が作りたい

ーそして実際に、新しく事業を創りたいと考えるようになったのでしょうか。

そうですね。でも、情報収拾して経営者の考えを学ぶ中で、事業として何かを作るのであれば、自分が何かをより良くしたいという、強烈な想いが必要だと考えるようになりました。自分にとって、そんな想いが湧くものはなんだろう?と考えたときに、真っ先に、明確に浮かぶものは、ずっとコンプレックスを抱いていた「日本の営業現場」でした。

ー営業現場で感じた「営業のイケてない部分」を良くしたいと?

本来“営業”は、サービス提供の根本である”顧客の課題解決”を最前線でデザインし、実現してあげられる、とてもクリエイティブで素晴らしい仕事だと思っています。

でも、営業の現場には多くの課題があり、その複雑性やユースケースの多さから、その他の職種と比べてIT化や自動化が遅れています。精神論や、思考停止に陥ってしまい、アナログが残っている部分が多く、自分が感じたコンプレックスのみならず、”営業”という言葉が日本ではあまり良いイメージでないことも感じていました。

有益な情報やナレッジは優秀な個人に閉ざされ、属人化がはびこる日本の営業現場。その大きな大きな課題を解決し、営業パーソンがもっと輝ける場を作れないだろうか?そう思い、自分でプロダクトをつくるか、転職するかを考え始めました。

ー”自分でプロダクトをつくる”とは?

若手の営業も輝けるようなプロダクトを考えて、営業マッチングアプリを作ったりしていました。 初めは、力試しに社内で開催していたビジネスコンテストやアイデアコンテストに出まくっていました。でも、次第に出ること自体が目的になり、現状に安住しそうな自分に気がついたんです。そして、3年勤めたソフトバンクを辞めることを決めました。

退職した翌日には東京に出てきて、色々なベンチャー企業に、自作のアプリを見せに行きました。自分でプロダクト事業を興そうとしても仲間はいなかったし、何かをゼロから立ち上げた経験はないからこそ、出来立ての会社で自分を試しながら、仲間をつくりたかったんです。

自作のプロダクトを話しに行く中で、マツリカに出会ったんですか?

東京に戻ってきた翌日に訪れたのが、マツリカでした。当時、最初の資金調達後、Senses(センシーズ )の公開直後であったマツリカに、自作の営業支援アプリを持って行き、代表の黒佐と飯作に話を聞いてもらいました。
 

黒佐は「採用のための会話」ではなく、人として真摯にアプリへの意見をくれたり、飯作もフラットに、営業の属人化をなくす「Sensesの未来」を話してくれたんです。他社もまわった中で、何者でもない自分の話を最も真剣に聞いてくれたマツリカ。ここでなら、会社と自分がやりたいことを高次元に絡められるんじゃないか。この人たちと仲間になりたいと思い、マツリカへの入社を決めました。

ー創業したてのベンチャーに飛び込むのに、躊躇はありませんでしたか?

ためらいは全然ありませんでした。他人から「そんな名も知れない会社で、無理だよ」と言われたりもしたけど、昔から「無理」と言われるとやる気が出るんですよね(笑)こんなチャレンジは今だけだ。そんな自信も、どこかにあったんです。

会社の成長=自分の成長と捉えて走った3年間

ーマツリカ入社後は、また営業としてキャリアを積み始めたんですね。

Sensesのカスタマーサクセスの業務を経て、フィールドセールスをメインに担当するようになりました。優秀な開発メンバーがいる中で、自分の経験をすぐに活かせるのは営業だと改めて思い、売り上げの責任を持ち続けてきました。
 

当時公開したばかりのSensesは機能も不十分で、売れないことが続いたりもしたけど、「辛い」という気持ちはありませんでした。自分たちがいかに難しい世界に飛び込んでいるかもわかっていたし、簡単に成功してもつまらないし。何より、代表二人とSensesの良さを信じていたから、努力や工夫は重ねても、自分たちが目指す未来の価値を疑ったりはしませんでした。

「当日は社員が10人もいないから互いの距離は当然に近くて、たくさんコミュニケーションをとっていました。今はフロア全体を使っている全社会議も、その頃はこの一角でやっていたんですよ。」

ー今、入社して3年が経った久保さん。その間、売り上げ責任を持って走り続けられた理由は何ですか?

MRRの売り上げ目標を超えるまでは絶対に辞めない、意地でも営業責任者を降りないと決めていました。でも会社に属している感覚はあまりなくて、もともと自分の目標を達成するためにマツリカにいたから、環境要因で嫌になることもなかったし。
 
だからこそ、Sensesを売る合間で、Notiaというプロダクトを社内のエンジニアと一緒に開発して、世の中に出すこともできたんです。やりたいことを追っかけていたらあっという間に3年が経っていましたね。

ー会社の目標である「売り上げ」を自分ごと化できたのはなぜでしょうか。

ゼロから売ってきたからこそ、透明度高くSensesのことを語るうちに、それは自分のプロダクトであると思えるようになりました。だから、予算達成のためではなく、この事業を大きくするために、もっと多くの人のためにこんな機能を作った方が良いとか、プロダクトオーナーのようなことを考えて売ってこれたんです。 
 

あとは、一般的な営業会議では「今月の売上に足りない分をどうするか」を話し合うのがメインになるけど、当時、代表黒佐との営業MTGでは、ほとんどの議題や僕の提案に対して、黒佐は「うん」、「ほい」と言ってくれたんです(笑)
 

それって割とすごいことで、もちろん黒佐は思うこともいっぱいあっただろうけど、自分で解決するように仕向けていたんじゃないかなって。そうやって、僕に「Sensesを売る」ことを自分ごと化させてくれたんだと思います。

ーそれは、社員への信頼の表れのようにも感じますね。

そうですね。代表が最初から一任してくれていたように、自分も、チームを信頼して同じような空気をつくっていきたいです。

今のチームだから言える「営業なんて最高だ」

ー入社から3年経った今、当初よりも目標に近づいた感覚はありますか?

この3年間、会社が急速に変わっていく中で、「成長に置いていかれるなよ」と、いつも黒佐が言っていました。でも僕自身は、マツリカという環境が先に変化して、気持ちや考え方が徐々にそこについてきた感覚でいます。

自分が抱いた想いと、つくったプロダクトを、ビジネスとして成り立たせることの大切さも学びました。特に2019年に入ってからは、会社の成長が上向きになってきた変化をすごく感じています。

ーセールスチームも一気にメンバーが増え、勢いが加速していますね。

当初は僕だけだった営業も、今年で7名に増えました!そんな2019年、やっとMRRの目標も達成できたんです。今まではプレイヤーであり続けた自分が、今はリーダーとして、チームがもっと遠くに行ける状態を作りたいと思うようになりました。
 

目標は達成したけど、みんながいたらもっと早くその二倍先にたどり着けるかなと考え、「チームが達成することが自分のゴール」と言える状態になったのが、今年の僕です。そんなチームを作れた今、ようやく「営業は最高だ」と語れるようになりました。

ーマツリカのセールスチームにはどんな人が集まっていますか?

本当はもっと別の生き方がしたいと思っていたり、今あるものを脱ぎ捨ててチャレンジに飛び込みたい人たちです。大企業で出世するほど現場が見えづらくなり、もっと市場の課題を見つけてユーザーに価値提供したいと思って来た人もいます。今まで本当の自分をさらけ出せず、転職でそれを変えようと心機一転のチャレンジをしに来た人もいます。

マツリカは、特に裁量が大きい環境。「Liberty」というバリューもそうだけど、まだまだ何も整っていないからこそ、自分で生み出せるしその範囲も大きいんです。今までの経験から培った些細なことが、案外大きな理由になって、その裁量の中に飛び込みたい人が多いですね。

セールスチームの夏合宿イベント

妥協なく、精一杯、ユーザーに恩返しを

ー今後セールスチームとして、どんな人に参加してほしいですか?

何か自分が解決したいコンプレックスが、マツリカのやっていることと少し重なっていて、自分ごととして戦える人。Sensesやマツリカを、自分のことのように伝えたい人と仕事をしたいですね。

プロダクトもまだまだこれからだし、ビジョンも今から強固にしていくものだからこそ、自分が成し遂げたいことを腹の底から言える人じゃないと、正直厳しいとは思います。

ー今年、来年と、多様なメンバーが集まるマツリカは、さらに盛り上がっていきそうですね。

今まではスタートアップ初期だからこそあまり余裕もなかったけど、今は人も増えて、「客観的に会社を見る」時間が各々にできて、惰性ではなく本当にクリエイティブに仕事ができる、面白い環境になってきました。
 

でも、本当のつらさは「前に進めない」こと。成長速度が全然進まないことです。会社も自分も、いつでもハイグロースできるわけではなく、もちろん停滞していた時期がありました。だからこそ、そこを耐える力がついた。その上で売り上げを伸ばして、追い風が吹いた今こそ、みんなのモチベーションも上がっています。今年、さらに来年のマツリカはもっと楽しいステージになると思います。

ー今後の、久保さんの展望を教えてください。

10月からVPoP(プロダクト責任者)として、プロダクト開発の意思決定を担当していきます。僕は創業期から、一貫して現場の最前線でSensesの価値をユーザーに届けてきました。そんな自分だからこそ見える「ユーザーは何を求めているか」に、一層の妥協なく、どういう機能を、どういう順番で、どのレベルで開発し市場にリリースしていけばよいか、プロダクト開発に責任を持っていきたいです。
 

マツリカの強みは、ビジネスサイドと開発サイドの距離が非常に近いこと。今までもユーザーのフィードバックが社内できちんと共有され、地道に製品改善を行ってきたと思っています。これからは自分が架け橋となることで、よりシームレスに、ユーザーに価値のあるソリューションを提供していきたいです。
 

リリース当初、本当に機能の少ない、ハリボテのようなよちよち歩きのプロダクトを片手に「未来のSenses」を語って営業をしていました。そんな未来を信じて契約してくれたユーザーの方々に恩返しができるよう、語った夢を現実にできるよう、嘘がないよう、精一杯取り組んでいきます。

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