こんにちは!mazrica times編集部、そして広報の”ほなみん”こと、西塔穂波です。趣味は弾丸旅と、映画。
今回の”マツリカンの声”では、私が何を思って「公務員からスタートアップ広報」になったか、そしてマツリカでの「広報」についてお話しします。

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タイとインドから、都庁へ

行政に興味を持った少女時代

私の両親は、転勤族。小さい頃は宮城や神奈川、12歳からはタイのバンコクで暮らしていました。はじめは動揺しつつも、案外適応するもので。今ほど街が整備されていないバンコクでは、立ち並ぶ屋台で飲食したり、スラム街でボランティア活動をしたり、子どもながらに現地を体感していました。
 

特に当時は、日本からタイへの国際支援が活発で、発展途上の都市が開発されていく現場を、間近で見れる環境でした。そこから、”国際協力”や、日本のアジア諸国への関わり方、国や都市の仕事に興味を持つようになったんです。
 

そんな背景から、行政や政治を学びたいと思い、高校入学と同時に帰国してからは、法学部が強い大学を目指していました。けど、高校では、のびのびと、いや、のんびりと、部活や生徒会に励んでいて。志望校の受験ではまあ落ちる落ちる。それが、初めて、決めた目標を達成できなかった経験でした。とても、甘かった。

左:タイで通った屋台 / 中:住んでいたあたり / 右:インドの高山地帯

活動のリベンジと、分類される枠組み

のんびりしていたくせに悔しく、猛省した私は、入った大学でとにかく勉強及び幅広い活動をしてみようと。イギリスに短期留学してみたり、それで増した体重のままミスコンに出てみたり(惨敗)、ゼミ活動でインドのラダックという高山地帯に研究に行ったり、興味を持ったことに対してひたすら動き回っていました。
 

その中で、都庁に入る試験を受けようと決めました。当時、アジアとの都市間協力に注力していた「東京都」の仕事に憧れたんです。次こそ、目標に向けて真剣に勉強しようと、大学生活の後半は、ただただ引きこもっていました。スマホのアプリもほぼ消して、使うのはタイマーのみ。人生で一番勉強をした気がします。そしてなんとか合格した私は、「東京都の公務員」になりました。
 

そんな学生生活での気付きは、大概、人は「枠組みを通して相手を見る」こと。「帰国子女なのに、っぽくないね」「大学生なんだから、もっと遊べばいいのに」「茶髪なのに、公務員試験受けるの?」「その大学だと、試験も受からないんじゃない?」
 

人それぞれが持つ概念の中で、あらゆる枠組みに分類される。でも、私はどの枠もしっくりこない。むしろ、それらを超えたいし、全て引っくるめた自分だからこそ、できることを見つけたい。そんな、ぼんやりとしたイメージも描きながら、社会人の扉を開きました。

インドは、アナザースカイ。

仕事も生活も「自分」を全て繋げよう

“ワークライフバランス”に感じた違和感

都庁に勤めたのは3年間。その中で、3つの業務を経験しました。雇用支援、広報、議会の仕事です。特に議会の仕事は寝泊りも多く、ピリピリする現場の中を奔走する日々でしたが、辛くもスリリングな充実を感じていました。希望していた「アジアとの協力」の部署も身近にあり、いつかそこに、と願ってもいました。
 

けど、徐々に、いくつかの違和感が募っていきました。ひとつは、働き方。当時、世の中では「働き方改革」が叫ばれ始め、行政としても「仕事と切り分けて休みをとる」「生活を大事にする」ことを職員に求めていました。そのことが、私にとって「業務中 / 業務外の自分」にギャップを感じるきっかけとなりました。
 

毎日定時が決まっていて、それ以外を「生活」と呼び、仕事から離れて「楽しむ、休む」ことが奨励される。それはまるで「仕事=義務、仕方がないこと」と定義づけられているようでした。もちろん休日に遊ぶのは楽しいけど、私にとって、生活はそれだけじゃない。仕事も含めて、全て自分の生活・日常で、どっちも心から楽しんでいたい。違和感を感じたのは、自分と時間を、仕事と生活で切り分けるのが良しとされることでした。

望む生き方を、働き方に

もうひとつは、都市の仕事に大義を感じつつも、ゼネラリストとして組織内だけで成長するに留まって、本当に良いのか?という違和感です。ここを出たら、自分は何ができるんだろう。自分だからこそできることって、なんだろう?
 

また、社会に出ても、大組織の中では「まだ若いから」「女性だから」「見た目がこう」「学歴がこう」と、枠組みを超えるのに、相当な時間を要します。組織を出て、より多様性のある場に行ってみたら、自分はどう変わるだろう?
 

時間の区別なく、枠組みも関係なく、常に自分自身でありたい。そう生きたいから、自分でコントロールできる働き方にトライしてみよう。そのために、スペシャリストになり、さらにマルチスキルを高める。そう決めました。

都庁の同期は、全部で1000人を超える数!

「伝えて繋ぐ」人になりたい

スタートアップの広報を選んだ理由

そして、周囲に全力で止められながらも、公務員であることを辞めました。もちろん国際協力には今でも想いがあります。むしろ、それは分野であり、仕事としてなら行政以外の関わり方もあるのではないか。興味ある分野に携わりつつも、働き方を変えられるよう、まずは「これができる」という仕事を確立しよう。そう考え、広報専任として、スタートアップ企業に転職しました。
 

なぜ「広報」を希望したか。理由は大きく3つ。情報で広報対象の価値を上げ、社会と繋ぐ仕事に惹かれたこと、職業として長期的なビジョンを描けたこと、何より「情報を切り取り、伝え、繋ぐことが好き」だからです。好きなことを、生き方にしたいと思いました。
 

それまでも、広報や議会の仕事から、伝えることの重要さを日々痛感していました。ただ言葉を発するだけではなく、なぜ、誰に、どうしてほしくて、何を伝えるかを考える、地道な作業です。それを、職業として身に付けたい。早く、しなやかに成長したいと考え、市場に伸びのある業界に、スピード感あるスタートアップに、飛び込んだんです。

教科書がない中で、自分の型をつくる

最初に入った会社は、動画広告を扱うBtoBのスタートアップ。10から100に伸びるフェーズで、採用広報をはじめ、事業・企業広報などを、ゼロから経験しました。担当は私一人。前任も社内にいなかったので、最初は何をどうしたらいいかもさっぱりで、本やWeb記事を読み漁る日々でした。でも、内外の環境は圧倒的な速さで変わる。正解が書かれた教科書なんて、どこにもない。

ならば外から学べと、ノウハウを得るために外部の勉強会に行ったり、他社とのネットワークを広げて得た知識を、現場で実践していくうちに、徐々に自分の「型」を作っていけたように思います。メディアの編集、記者の方々にも、やりとりの基礎から何まで教えていただく毎日は、今思っても、本当にありがたいものです。
 

研修やOJTがしっかり組まれていた前職とは違い、無の状態から、仕事を考え、生み出す。人、モノ、金、全てにおいて、全員で会社を作りながら働く。自分の頭と手足を動かし、外に出て、情報を出していく。記事が出たり、採用に結びついたりすると、成果として認められる。初めて「自分」として仕事をしている、そんな気持ちになりました。 

広報に留まらず、社内イベントづくりにも奮闘した前職時代。

遊ぶように働く未来を伝える

広報として「世の中にインパクトを」と思えた会社

勤めて1年半後、広報業務を一通り担えるようになった次は、「働き方のコントロール」を実現しようと思いました。さらに、広報活動に留まらず、より根本から企業のイメージづくりを手掛けてみたいと考え、次のフィールドへの転職を決めました。そんな中で出会ったのが、マツリカでした。
 

「世界を祭り化する」ためのSaaS、SFAって、どういうことだろう?と興味を持ち、面接に行きました。代表の黒佐に聞かれたことはふたつ、「何かに熱中した経験はあるか」と「何がしたいか」。こんなにも人の話を面白そうに聴いてくれる面接は初めてで、一緒に会社をつくってみたいと思ったことを、今も覚えています。 
 

面接では、他部署のメンバー達にも会いました。全員が共通して話していたのは「自由と責任」を両立する働き方について。マツリカのバリューのひとつである「Liberty」を体現して、時間・場所を自分で選びながら、各々の役割を楽しんでいる姿を見ました。それって会社との信頼関係があってこそだし、クールだなと。
 

この会社のカルチャーや、事業を世の中に届けたら、私が感じていた「働き方への違和感」を、同じように持っている人に対して、その目の前を明るくできるかもしれない。初めて、広報目線で「世の中にこんなインパクトを届けたい」という具体的なイメージが湧いたんです。そして、今年の1月に、マツリカの広報専任として入社しました。

のびのびと、目標に向かう。

それから今日まで、様々な角度から「露出強化」と「イメージづくり」に取り組んできました。露出も前年の4倍以上になり、「セールステック」や会社のカルチャーが取り上げられることが増えました。前と同じく一人体制のスタートでしたが、任せてもらえる裁量はさらに大きく、その分プレッシャーも大きく、それでも今までで一番自分らしく働いています。
 

「これをやりたい」と声を上げると、応援や意見をくれる風土もあり、会社と自分のやりたいことをマッチさせて前進できることが多いからか、オンオフを自分で切り替えられるからか、多様性溢れるメンバーの中だからか、そんな日々を通して、これは好き・これは違うなど、自分の輪郭がはっきりしてきたからか。
 

もちろんビジネスの場なので、目標達成が前提ですが、会社がつくりたい「遊ぶように働く」未来を、自ら体現できることは、今一番のやりがいです。
 

現在マツリカでは、社外広報だけではなく、企業ブランディングのプロジェクトも動かしはじめています。この一年で、従業員は30人から75人へと倍以上に増え、社内広報の必要性も増してきました。10月からは広報メンバーも増え、一層パワーを加速させている、広報チームです。

メンバーも増え、社外のみならず、社内への発信も注力している最近です。

枠組みを超えて、楽しい”はたらく”を。

社会人になるときや、都庁を辞めるときに望んだことを、今、少しずつ、現実に変えています。伝える仕事も「自分の生き方」だと、ここに書けるようにもなりました。それでも、変わらないこともあります。どんなに仕事と生活の壁を崩しても、好きなものは変わらない。頭を休めて、旅や映画にのめり込む瞬間も、家でコーヒーを飲む瞬間も、最高に好きです。
 

生まれてから、28年。いろんな環境でいろんな枠組みに嵌っては超え、嵌っては超え、を繰り返してきたけど、「これが私だ」と150%の気持ちでは、まだ言えない。
だからこそ、マツリカでは「広報」にとらわれず、やりたいことに貪欲に飛び込んで、自分の生き方を、よりくっきりとさせていきたいです。そして、そんな行動が、会社の伸びにつながるようにしたい。これは今までに感じなかった、楽しい”はたらく”かも!と、思うんです。

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